こどもだったハリルにとって、もっとも優しかった人は、彼の祖母だった。名前をビービ・ダイザという。小学校に初めて通った日のことは、これまで忘れたことがない。学校から戻ってくると、彼女は道の途中でハリルを待っていて、とても優しいまなざしで「わたしの息子よ、小学生になったのね。おばあちゃんもとてもうれしいわ。おめでとう!」などと大きな声でうれしそうに言ってくれた。そういった彼女の優しさは、両親からも受けたことがないものだったし、そのことによって彼女は学校がそれほど大事なところだということを教えてくれた。
 ビービ・ダイザは結婚式などの集まりに出かけていくことはほとんどなかったが、いつもこどもたちに食事を作ってくれた。料理がとても上手だったので、彼女のところで食事をするのをハリルは楽しみにしていた。後に、自分が料理をするようになって、最も影響を受けた人は祖母だったということに気がついた。今でも彼女の料理の味は、思い出すことができるほどだ。彼女はナチュラリストで、赤みの肉や黄色いメロンなど、外側を見ればそれがおいしいかどうか分かる人だった。そんな彼女の指南を受けたので、ハリルは市場で、果物を見ただけでその味が分かるようになった。だからヨーテボリでもクミシュテペでも、いつも市場で安くておいしい果物を買うことができたのだ。
 祖母は1920~30年代に、当時ソビエト社会主義共和国となったばかりの、現在のトルクメニスタンからクミシュテペに移住した。ソ連は、イスラム教徒のトルクメンに敵対していたので、多くのトルクメンがイラン側に逃げてきたそうだ。トルクメン・サハラと呼ばれている砂漠の地域に、夫のハジ・バンクと彼の両親と一緒に住み始めた。しかし所有していた牛や羊などの家畜の群れは、手放すことになってしまった。なぜならば、ソビエトの共産主義者たちが突然やってきて、彼らの財産を取り上げてしまったからだった。祖母は家畜との生活に慣れ親しんでいたので、そのことを悔しがってよく話して聞かせてくれて、大きくなったらそこに行くようハリルに親戚の名前などを伝えていた。だから、トルクメニスタン側に住む親戚の名前はいつも覚えていたのだった。しかしイランという国を実際に出るまでは、この情報はハリルにとってほとんど意味をなさないものだった。